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東大寺山古墳の報告書が新聞で紹介されました

新聞での紹介、第2弾!

東大寺山古墳の報告書『東大寺山古墳の研究』が産経新聞で紹介されました。
なんと、第1面トップ記事です。

記事内容は下のサイトをご覧下さい。(O)
http://www.sankei-kansai.com/2010/08/02/20100802-042047.php

産経100802夕刊ss

コメント

報告書の刊行おめでとうございます。

ところうで私は、東大寺山古墳の被葬者は建振熊命と考えております。

なぜなら彼は和邇氏の人物であり、四世紀の後半に活躍した人物であります。
363年神功の新羅侵攻の戦役に丹波、但馬、若狭の海人三百人を引き連れて参戦します。
また大和に帰る時、これを阻もうとする、仲哀の遺児、忍熊王と戦い、最後は琵琶湖のほとりに追い詰め討ち滅ぼします。
建振熊命は神功・応神朝成立の功労者です。この功績により王権の中枢に躍り出ます。これを期に和邇氏は、東大寺山古墳、赤土山古墳、和爾下神社古墳など、天皇家以外では比較的大型の前方後円墳を造る様に成ります。

また東大寺山古墳には大量の武器や武具が副葬されています。被葬者が武人であることが伺われます。
先に見たように建振熊命は、新羅の役に参戦したり、忍熊王と戦うなど武人であります。

なぜ東大寺山古墳から、卑弥呼が受け取った鉄刀が出土したかといえば、和邇氏の祖は天足彦国押人命で、その妻は尾張氏の宇那比姫命です。
宇那比姫が他ならぬ卑弥呼だからです。和邇氏は宇那比姫の子孫で、それは卑弥呼の子孫ということです。

詳しくは下記のブログまたはサイトを見てください。
http://yamatai.sblo.jp/category/932915-1.html

http://kodai.sakura.ne.jp/yamato/600-himiko-kouann.htm

このような説は、信じては頂けないでしょうが一度詳しく調べてみてください。とてつもないことが判明します。
by: 曲学の徒 * 2010/08/04 21:34 * URL [ 編集] | UP↑

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