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埋蔵文化財天理教調査団、布留遺跡、初めての発掘調査

  午前中、所用があり、大学から南に少し離れた永原町にある埋蔵文化財天理教調査団・天理参考館分室に出かけたのですが、その際、天理参考館学芸員のY氏から、この3月に刊行された布留遺跡杣之内地区の発掘調査報告書を1冊いただきました。発掘調査はずいぶん前におこなわれたもので、調査補助員として、当時高校生だった私の名前も記して頂いています。私にとって初めて参加した発掘調査であり、次々にいろいろなものが見つかる発見の連続に、わくわくした当時の体験をたいへん懐かしく思い出しました。

  思い出話になりますが、石上神宮の七支刀特別拝観でもお世話になっている天理高校のF先生(当時は天理大学の4年生)が天理高校に教育実習生として来られ、高校生だった私に発掘調査の参加を勧めて下さったのでした。発掘調査の主任だったYさんは、その頃まだ20代で若々しく、Yさんというと、そのときに親切に指導していただいたイメージが今でも離れません。私が今こうして考古学を専門にしているのも、そうした人との出会いやつながりがあり、導いて頂いたことが大きな要因になっています。
  
  考古学・民俗学専攻の卒業生のなかにも、在学時代、夏休みや春休み、あるいは授業の合間などに、埋蔵文化財天理教発掘調査団の発掘作業やその後の遺物整理作業などに参加して、多くのことを学び、それが今の自分の仕事にもつながっているという人がたくさんいるのではないでしょうか。

  天理大学は、研究室のスタッフのほかにも、附属天理参考館にも専門分野の学識や造詣の深い経験豊かな学芸員の方々が数多くいて、非常勤講師として大学の授業を担当いただいたり、研究室のスタッフとの共同研究をおこなったりしていて、研究室の学生もたいへんお世話になっています。今後、大学と参考館とのさまざまな連携がよりいっそう深まってゆくことを期待しているところです。

  さて、布留遺跡の話に戻ります。発掘調査の場所は、大学南棟校舎4号棟(学生ホールのあるところです)の東側隣接地。今は、駐車場になっている場所です。このあたりから石上神宮にかけての布留側左岸の高台は、古墳時代の大形掘立柱建物や「石上溝」とされる大溝、群馬県三ツ寺遺跡のような首長居館の一部の可能性がある石敷きなどが見つかっていて、物部氏と関連が深い布留遺跡の中枢地域とされるエリアです。

  つまり、天理大学の杣之内キャンパスの東側から石上神宮にかけて広がる高台は、写真のように、今は水田や畑(一部は駐車場)となっていますが、考古学的に、非常に興味深い遺跡が広がっている場所だということができます。(K)

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