スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--)
スポンサー広告

本日、大和弥生文化の会、月例談話会

 本日夜、下記のとおり、大和弥生文化の会の月例談話会が開催されます。県内で文化財関係の仕事をしている若手が10名ほど集まります。天理大学の卒業生も多くいますし、ふだんから、天理大の学生もよく参加しています。この3月には、春に卒業した先輩2名が、この談話会で卒論の内容を発表しました。せっかく学内でおこなわれますので、少し時間が遅いですが、弥生時代に関心のある学生、あるいはそうでない人も大丈夫でですので、是非参加してみましょう。

  ・日時:本日5月27日(木) 7時30分から

  ・場所:天理大学考古学実習室

  ・内容:豆谷和之「沢遺跡の意義」

  ちなみに、豆谷さんは、現在、田原本町の総合企画部にご勤務ですが、唐古・鍵遺跡の発掘調査に長く従事し、大型建物2棟の調査を担当された方です。また、弥生文化の成立期に関する意欲的な研究者として知られています。今回のご発表は、豆谷さんが現在お住まいの宇陀市にある沢遺跡にかんするものですが、沢遺跡は、縄文時代晩期から弥生時代前期にかけての土器が層位的に出土し、縄文時代から弥生時代への移行を考える上で非常に重要な遺跡として注目される遺跡です。

  縄文から弥生への変化に限らず、ある特徴的な時代から別の時代への移行期を考古学的にどのように理解するかというのは、地域や時代に関わらず、興味深く、また難しい問題だと思います。この間のウシュシュキン先生の講演会も、カナン時代からイスラエル時代、あるいは、後期青銅器時代から鉄器時代への移行期に焦点をあてるものでした。かつては、新しく人間集団が移住してきたという移民説あるいは侵略説が主流だったのが、ちょうど江戸時代から明治時代への変化のように、人間の入れ替わりではなく、異なる文化の交流とその刺激の中で、平和的に新旧の文化が移り変わったという理解に学説がシフトしてきたのは、地中海東岸地域も日本列島も何か似ているように感じます。

 一方で、人類の長い歴史の中で、人間集団の移動(移民)や政治的な危機、暴力的な戦争などといったことが現実に存在し、それがきっかけで文化的な変化に至る場合があるという事実も大事ですから、文化の変化というものは、さまざまな複合的な要素や可能性があるということを考えておく必要があると思います。

 現在、天理参考館で開催されている「メキシコ展」を見ると、コロンブス以前と以後で、「古代」と「現代」に時代が分かれ、歴史や文化が全く変化してしまっていることが、物質文化の上からも明瞭であることに愕然とさせられます。とても興味深い展示ですので、是非、ご覧下さい。

  沢遺跡の話に戻ります。ともあれ、古い文化から新しい文化への移行に関する議論ですが、どこかの捜査機関のように、さきにストーリーありきという形ではなく、遺構・遺物という考古学的な証拠に基づいて、どのような仮説がもっとも適合的で可能性が高いのか、検証可能な議論をおこなうことが重要なのは言うまでもありません。そういう意味で、今日の豆谷さんの発表を大いに楽しみにしています。有名な豆谷節がきっと炸裂するはずです。学生のみなさん、是非、参加しましょう。(K)

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


| ホーム |
Page Top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。