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研究室パンフレット(新作)

  風薫る五月もいよいよ今日で終了。今日も好天が続いていて、大学のキャンパス周辺は、風がそよぎ、瑞々しい緑にあふれています。

  明日からは6月ですが、来年度入試に向けて、指定校となっている高校への訪問が始まり、続けて、7月から9月にかけては、3回にわたってオープンキャンパスが開催される予定です。考古学・民俗学専攻では、ここ数年の入試環境の厳しさを受けて、広報活動に力を入れています。4月におこなった天理高校の出前授業もそうですし、このブログもその一環と言えます。

 このブログをとおして、天理大学の考古学・民俗学専攻を志望のひとつとしてこれから検討をおこなう高校生や高校の先生に、天理大学と研究室の恵まれた歴史的環境、多彩な教育・研究活動、個性豊かなスタッフ陣、研究室の歴史や伝統、そこにつながる人々などを知ってもらうことができればと思います。

  研究室は、1学年の定員が25名、教員が6名で、とてもアットホームな雰囲気です。昨日の保証人との懇談会でも話していたのですが、大学というところは、やはり、専門の勉強をするだけでなく、それを通して、あるいはクラブ活動やその他のさまざまな機会を通して、いろいろな人との出会いがあり、コミュニケーションがつながってゆくところに意味があるだろうと思います。

  専門の勉強だけなら、本を読み、独学でもおこなうことができますが、大学はそれだけではなく、人生の中のある一定の時期を、大学という場所で過ごすという経験自体に意義があるのではないでしょうか。大学で得た友人は一生の自分の財産とも言えるでしょうし、研究室もやがて創設20周年を迎えますが、在学中に知り合って、やがて生涯の伴侶となったという同級生どうし、あるいは先輩-後輩の夫妻も数多くいて、2世誕生の便りも続々と寄せられています。
 
  ところで、このブログのメンテナンスでもお世話になっている卒業生のKさんが、安井先生の監修のもと、この春、研究室のリーフレットを新作してくれました。これから本格的に始まる入試広報活動で、とても役に立つアイテムがまたひとつ増えました。Kさん、どうもありがとうございます。(K)

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田井庄、野神さん、大和の建て倒れ

  岩室のあたりを自転車でぶらぶらしたあと、足を伸ばして、自宅とは反対側の田井庄(たいのしょう)のムラの様子も観察してきました。青空が広がり、ひばりの鳴き声も聞こえます。田井庄といえば、天理大学の体育学部のあるところですが、体育学部の新しい体育館前の交差点は「地蔵前」という名前がついていて、お地蔵さんの後ろに、奈良盆地の伝統的村落のはずれでよく見られる「野神」さん、大きな樹木がまつってあるのを見ることができます。

 田井庄の本村は、やはり典型的な大和の伝統的村落。自転車で通勤の際、私はいつもこの田井庄のムラの狭い迷路のような道を通り抜けて、天理駅の方に向かっています。ムラの外に広がる水田は、もう、田植えを待つばかりの状況になっています。ちょうど、水路の水口から苗代に水をひいているところを通りがかりました。

 天理大学の国文学国語学科の出身で、現在は富山大学で教鞭をとっている社会言語学のN氏が、まだ天理にいた頃、京都の着倒れ、大阪の食い倒れ、大和の建て倒れという話をよくしていましたが、大和の伝統的村落は、家屋敷はみな広い敷地のまわりを四角く塀で囲み、門構えや蔵もとても立派です。家家の軒を飾る甍の連なりが銀色にまぶしく光り、しっくいの白壁が際だつ独特の景観は、時代劇に出てきそうな城下町のような雰囲気です。岩室や田井庄では、その中に、ひときわ目立って、うだつを設けた大和棟の母屋が建てられている姿を今も見ることができます。

 田井庄では、ムラを囲む環濠の名残が今も残っていて、草木が生い茂るそのたたずまいを見ていると、私などは、弥生時代の環濠集落もこのような雰囲気だったのかもしれないなどとつい想像を逞しくしてしまいます。(K)

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岩室、伝統的集落の変貌、両墓制

 日曜日の今日は昨日に続いて爽やかな好天。午前中は、ぶらりと自転車に乗って、自宅近くの散策をおこないました。私の自宅は、天理市内、前栽駅から南に歩いて7,8分のところにあり、天理大学の学生たちも、駅までの道などでよく出会ったりするところです。

  自転車ですぐ近くに、岩室(いわむろ)という古い村があり、奈良盆地=国中(くんなか)でよく見られる伝統的村落の景観を残しています。ムラの中には、広々とした敷地を白壁の塀で囲った家屋敷の甍がひしめいていて、鎮守の森やお寺などもあり、家家の間には迷路のような狭い道が縦横につながっています。家屋の密集するムラの外側には、田んぼや畑が広がり、ムラからやや離れて共同墓地があるという典型的な村落構造をみることができます。

  この岩室には、かつて金関恕先生の御尊父、金関丈夫先生がお住まいになっていた家がそのまま残っていて、現在は、金関先生のご子息でバイオリニストとして知られる金関環氏の表札がかかっています。岩室の集落は、金関丈夫先生が帝塚山大学時代に、『岩室』という民俗誌の記録を残していることでも知られていますが、そのあとの数十年の間に、伝統的な家屋が近代的な住宅に立て替えられるなど、ムラの姿も大きく変貌をとげています。国道に面したところにあるひとつの家は、典型的な大和棟の住宅として、大阪の国立民族学博物館に昭和40年頃の姿が模型で展示されていますが、最近、屋敷の敷地の半分が駐車場に変わりました。

  国道を挟んだ北側の一帯は、戦前から唐古・鍵遺跡と並んで大和を代表する弥生時代の遺跡、岩室遺跡(現在は平等坊・岩室遺跡)として知られていて、少し前までは田んぼや畑が広がっていましたが、最近になり、市街化調整区域だったのが用途地域が変更されて、開発が進み、発掘調査がおこなわれたあと、現在は、商業施設やマンション・住宅が立ち並んでいます。国の史跡に指定された唐古・鍵遺跡がこれから本格的な整備事業が始まって、遺跡の保存活用が進められようとしているのとは対照的な姿になっていると言えます。奈良県に限りませんが、弥生時代の集落遺跡の多くは、経済価値の大きな平野部にあり、残念ながら、面的な遺跡保存が難しいという現実的な問題があります。

  宅地や商業用地としての開発が進む平等坊・岩室遺跡ですが、その一画に、奈良盆地に数多い溜め池のひとつ、ヒライ池があります。今は池の周囲がコンクリートで護岸されていますが、その工事が1983年に行われ、橿考研による事前の発掘調査で確認された岩室池古墳では、古墳時代後期の形象埴輪がバラバラになって見つかりました。実は、当時高校生だった私も春休みにその発掘調査を手伝わせてもらったのですが、最近、教育委員会によって新しい遺跡の説明板が設置され、うれしく思っています。

 ヒライ池の横にある共同墓地では、民俗学のうえで有名な「両墓制」の名残を見ることができます。かつてこの墓地では、土葬がおこなわれていて、その昔、岩室のムラから繰り出す野辺の送りの葬列を通りがかりで目撃したことがあります。今でも、「埋め墓」と「参り墓」の場所を現地で確認することができます。

 民俗学の記述部分、何か間違っているところなどあるかもしれません。斉藤先生、大丈夫でしょうか。よろしければ、補足のコメントなどお願いします。(K)

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年輪! 年輪?

  今日は日曜日ですが、昼から天理大学の後援会の総会があり、学生の保証人(ご両親)が大学、研究室を訪ねて来られました。総会の会場となった研究棟3階、第1会議室前のロビーで待機していると、目の前に、丸太の輪切りを利用したオブジェが置いてあるではありませんか。先の記事で年輪年代法について触れましたので、時間待ちをしている間、まわりにいた他学科の先生から冷やかされながら、愛用の「きみまろズーム」でカシャカシャ写真を撮ってしまいました。

  彫刻や工芸品に向きそうな、広葉樹の堅い材だということは私にもわかりますが、樹種は何なのでしょうか。奈良教育大学のK先生が非常勤講師として担当している「環境と考古学」は、2年生の専門教育科目ですが、実習室に備え付けの顕微鏡を使って木材の樹種鑑定もおこないます。このオブジェ、少し削って、薄片をつくり、樹種鑑定の教材にするといいかもしれません、などと書いたら叱られますね。

  総会のあと、共同研究室で学科・専攻別の懇談会があり、さらに、大学食堂で全体の懇親会をおこないました。帰宅すると、なんというタイミングの良さでしょう、お祝いのお返しで、黄金バウムクーヘンが届いていました。ドイツ語で木のお菓子という意味ですが、高原牧場でとれた卵「それいゆ」、讃岐五色台で採れる濃厚な百花蜂蜜、200年の伝統を誇る讃岐和三盆など、素材にこだわった一品のようです。とてもおいしくいただきました。ありがとうございます。(K)

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平城宮跡を遠望する

 先週の土曜に続いて、今日も午後から西大寺の奈良ふぁに来ていて、マックのモバイルポイントからブログを更新しています。奈良ふぁの屋上には展望デッキがあり、遷都1300年記念事業のメイン会場となっている平城宮跡の全容を遠望することができます。5月ももう終わろうとしていますが、五月晴れと言っていいのでしょうか、爽やかな好天で、来客で賑わっているイベント会場の様子を眺めることができました。(k)

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年輪年代法、大型建物

 金曜の1限目、9;00から始まる「考古学概論」。今日のテーマは理化学的年代測定法でしたが、日本の考古学でもさまざまな成果をあげている年輪年代法と放射性炭素年代法を中心にとりあげました。年輪年代法は、1年のサイクルをもとに年代測定をおこなう年周期法のひとつですが、ヒノキではBC912年まで、スギではBC1313年までの暦年標準パターンが作成されています。

 大阪府池上・曽根遺跡では、地下水に守られて、弥生時代中期後半の大型建物の柱穴に柱根が腐らずに残っていましたが、その柱根はヒノキ材を用いていて、幸い、樹皮の一部が残っていましたので、年輪年代法によって伐採年代がBC52年であることがわかったわけです。これによって、近畿地方の弥生時代中期後半の年代観が変更になり、それまで間接的な証拠から紀元後1世紀頃だと考えられていたのが、さかのぼって、紀元前1世紀頃だと理解されるようになりました。

 これに対して、昨日、沢遺跡の発表をおこなった田原本町の豆谷さんが発掘調査を担当した唐古・鍵遺跡の第93次調査では、大型建物が検出され、池上・曽根遺跡の場合と同じように、柱穴のひとつに巨大な柱根が残っていました。当時、豆谷さんのご厚意で、私は学生たちといっしょに柱材の抜き取り作業に立ち会わせてもらったのですが、クレーン車で柱材を引き上げる作業は、まるで1トン爆弾の不発弾を処理しているかのような光景でした。抜き取られた柱材の直径は約90cmで、平城宮跡で用いられている柱よりも太いものでした。

  ただし、残念ながらこの柱材は、ケヤキ材を用いていたために、年輪年代法を適用することができませんでした。ヒノキやスギとは違って、ケヤキについては、年輪年代法の暦年代標準パターンが紀元前までつながっていないからです。

  ケヤキと言えば、仙台の青葉通りが有名ですが、天理大学の研究棟の横にも、樹齢20年ほどの若いケヤキ並木があります。今の時期、その青々しい緑がキャンパスの雰囲気にちょっとした華やぎを添えてくれていますが、その樹相をみると、ケヤキは途中まではまっすぐに伸びるのですが、途中から枝分かれをして、ヒノキやスギのようにまっすぐ長い木材を取ることができません。唐古・鍵遺跡の柱材は直径が非常に太く、樹齢の高いかなり大きな木だったことがわかります。それでも、大型建物の上層部まで貫く通柱(とおしばしら)として利用できるような長い材を得ることができたのかどうか、疑問が残ります。

 弥生時代の大型建物に関しては、7月10日に開催される近畿弥生の会で、和歌山市太田・黒田遺跡の第61次調査で見つかった大型掘立柱建物についての報告がエントリーされています。新しい事例として注目されますが、どのようなものなのか、報告の内容が楽しみです。

 ところで、唐古・鍵遺跡は、豆谷さんが担当をして、これから本格的な整備事業が進んでゆく予定です。多国語対応の解説板を是非、設置していただきたいと思いますが、いかがでしょう。整備事業もいよいよこれからという矢先、今日の新聞で報道がありましたように、遺跡見学のための駐車場内に設置された簡易トイレで残念な火災事故が発生してしまいましたが、考えてみると、大型建物が見つかった場所のすぐ近くですね。(K)

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直立して聳える石上神宮の神杉
大木ですが、樹齢は何年なのでしょう

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唐古・鍵遺跡の大型建物の柱材(ケヤキ)の直径をはかる豆谷氏

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新緑が美しいキャンパスの欅並木
電柱がなく広々しています

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大学構内の樹木には説明プレートが設置されています

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樹齢約20年のケヤキの樹相

聞いてなっとく弥生の世界(2010年度弥生時代入門講座)

 もうひとつ、弥生時代研究の情報です。まえの記事で紹介した近畿弥生の会が、大阪府の博物館問題に関連して、博物館が少しでも活性化するためにということで、昨年度から大阪府立弥生文化博物館との共催で開催している入門講座です。私も、この1月に、「弥生絵画の世界 ―絵画土器と銅鐸から見た稲作の祭り-」として、研究室の学生諸氏に手伝ってもらいながらこの講座の講師をボランティアで担当しました。遅くなりましたが、その節はどうもありがとうございました。

 今年は、各府県の弥生時代の様相を具体的に紹介するということで、まず最初にイントロダクションとして方法論についての解説があり、そのあと年間4回にわたって、京都、大阪、兵庫、滋賀の第1線の研究者がやはりボランティアの講師をつとめ、各地域における調査研究の成果を具体的に紹介します。「考古資料をじっくり見ていただきながら解説します」というのが、この入門講座の基本コンセプトになっていて、考古学専攻の学部生に是非参加してもらいたいという主催者の共通した思いがあります。

 今年は研究室の4年生で、やはり誰とは言いませんが、滋賀県の弥生時代の集落をテーマにして卒論を書く人がいますけれども、残念ながら、滋賀県の講座は2月ですから、卒論は、ちゃんと進めばの話ですが、完成してしまっている時期ですね。(K)

s-弥生入門講座チラシ(2010年度正規版) 

近畿弥生の会 報告集会「大阪場所」

 弥生時代の研究会についての新着情報です。「近畿弥生の会」という研究グループが主催する調査研究報告集会が、下記のとおり、7月10日に大阪府立弥生文化博物館で開催されます。

近畿弥生の会HP

大阪府立弥生文化博物館HP

 
 「近畿弥生の会」というのは、10年ほどに、天理市教育委員会のMさんが、近畿地方の研究者に呼びかけて発足した研究グループで、年に一度のこの集会を開催することが主目的ですが、近年活性化してきて、さまざまな行事をとおして、研究者の交流や情報交換などがおこなわれています。現在の代表(3代目)は、昨日、沢遺跡の意義について、予想通り、熱く語ってくれた田原本町の豆谷さんです。

  毎年、6月から7月にかけて開催される年に1度の集会は、各府県が持ち回りで開催し、今年で13回目を迎えますが、3年前の10周年記念大会は、天理大学のふるさと会館でおこなわれました。前年度に、近畿地方の各府県で発掘調査されたり、重要な研究の進展があった遺跡などについて、担当者がスライド(現在はパワーポイント)を使って速報的に報告をおこない、研究者や学生が参加して、その意義や評価について確認や検討をおこないます。

  今年の奈良県の報告は、天理大学の非常勤講師として「旧石器・縄文時代の研究」を担当いただいている橿考研のOさんが担当で、御所市で発掘された弥生時代前期の水田遺構についてです。奈良県で、弥生時代、しかも前期の水田が累々と発見されるなどといったことは、10年前にはまったく予想もできませんでした。そのほかにも注目される報告がたくさんありますので、是非、参加して、近畿地方の最新の調査成果に触れましょう。(K)


第13回近畿弥生の会大阪場所
近畿弥生の会代表豆谷和之

日時/ 平成22年7 月10日(土) 第一部(調査発表)12時30分より
第二部(懇親会) 18時より

会場/ 第一部大阪府立弥生文化博物館1階ホール
※JR阪和線「信太山駅」から西へ徒歩10分

第二部未定(天王寺駅周辺を予定)
会費/ 第一部700円※資料代含む(別途入館料必要)
第二部5,000円※学生割引あり

内容/ 第一部12:30~ 開会挨拶
12:40~13:15 発表1 大阪府「東大阪市新上小阪遺跡―中期後半の方形周溝墓―」
伊藤武氏・財団法人大阪府文化財センター

13:15~13:50 発表2 京都府「京都市上里遺跡―弥生時代前期の集落跡―」
高橋潔氏・財団法人京都市埋蔵文化財研究所

13:50~14:25 発表3 滋賀県「金海会峴里貝塚出土の近江系土器」
伊庭功氏・財団法人滋賀県文化財保護協会

14:25~14:40 (休憩)

14:40~15:15 発表4 奈良県「奈良盆地における弥生時代前期水田の調査
―奈良県御所市中西遺跡の調査―」
岡田憲一氏・奈良県立橿原考古学研究所

15:15~15:50 発表5 和歌山県「和歌山市太田・黒田遺跡の発掘調査
―第61次調査で見つかった大型掘立柱建物―」
藤藪勝則氏・財団法人和歌山市都市整備公社

15:50~16:25 発表6 兵庫県「三田市三輪・餅田遺跡
―兵庫内陸部で管玉製作関連遺物が出土した遺跡―」
山崎敏昭氏・三田市役所まちづくり部生涯学習課

16:25~16:30 閉会挨拶

16:30~ 片付け

第二部18:00~ 懇親会

問合先/ (財)大阪府文化財センター
・市村TEL.06-6785-3921

大阪府立近つ飛鳥博物館
・廣瀬TEL.0721-93-8321
s-2010年_大阪場所案内04

広々としたキャンパスは電線が地下埋設

 今日の考古学実習の時間、改めて感じたのですが、今のこの季節、大学構内も緑がきれいで、また、とても広々として見えます。これは、天理教の神殿から「おやさとやかた」の南棟、大学、高校にかけてのエリア全体について、早くから、電線が地下埋設されていて、電柱がなく、電線がごちゃごちゃと張り巡らされていないことが大きな理由です。日本では、景観にとくに配慮している場所で地下埋設が行われていますが、まだ珍しいのではないかと思います。4月に考古学研究会が開催された岡山大学も、やはり、電線が地下埋設で、広々とした空間が展開していました。

 以前に訪れたパリやベルリンでは、あたりまえのように市内に電柱がなく、また街路も広々としていて、町並みが開放的だったのが印象的でした。ヨーロッパの都市では全く珍しくありませんが、日本では千代田区などが電線の地下埋設の普及が進んでいるようですね。日本で電線の地下埋設がなかなか進まないのは、やはりコストの問題なのか、それとも何か別の理由があるのでしょうか。

 実習中、電気と書いたマンホールの蓋を撮影していたら、「何でそんなもの撮ってるんですか」と、学生に不思議がられましたが、理由を説明しましたら納得してもらえました。(K)

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考古学実習、水準測量

 午後の4限目は、2年生が中心の考古学実習。この授業も今日で春学期の折り返しです。先週は、キャリアデザインの加藤先生の授業に合流したのですが、今日は、天気もよく、3週間ぶりの野外での実習となりました。先々週は、実習室内の座学で水準測量、つまり高さを測る原理や方法を学びましので、今日はそれを受けての実践編です。大学構内、体育館前の駐車場には、研究室が業者に依頼して設置した3級の基準点があり、そこから、図書館横の芝生の高まりの地点まで、レベルを使って、直接法によるレベル移動をおこないました。

 前回の授業でレベルの扱い方は勉強していたのですが、やはり実践となると、最初は機械の操作にとまどう受講生もいたようです。現場で難しいのは、レベルの操作もそうですが、むしろ、ワークフローを頭において、目標の方向に向かってレベルをどの場所に適切な高さでたてるかという選地の判断の方かもしれません。地形の傾斜や障害物の有無を考慮しつつ、適切な距離を見定めるなど、こうしたことは、理屈を覚えると同時に、経験を積んで、ノウハウを身につけてゆくしかないですね。

 今日の実習では、班に分かれて、作業を繰り返しているうちに、だんだんと要領がわかってきて、もう大丈夫かなと思っていたら、ゴール間近になって、ひとつの班が、初歩的なミスをしてしまいました。でもまあ、失敗も勉強のうち。失敗してみないとわからないこともありますから、次回は、間違えないようにすることです。今日の作業の成果は、実習の日誌に作業や計算の結果を記して提出してもらいます。(K)

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