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清々しい朝の石上神宮

 昨日と同じく肌寒い一日でした。今日はしばらくぶりの七支刀解説ボランティア、歴史学専攻3年生の0さんといっしょに、午前の部の担当をつとめました。集合時間より少し早めの9時過ぎに境内に入り、しばらく散歩をしてみましたが、雨もあがった朝の神宮の空気は、何か清々しい気分にさせてくれます。

 境内には、写真を撮ってみたくなる多くの歴史的記念物があります。石灯籠もそのひとつですが、石に刻まれた文字を見ると、江戸時代の年号が入ったものには「布留社」の名前が使われ、明治以降のものには「石上神宮」の名前が使われていて、近代になり、石上神宮の性格が変化したことがわかります。

 石上神宮は、天理から桜井へと続くハイキングコースとしての山の辺の道の起点になっていることが、案内板や標識からうかがえます。今日は久しぶりの好天で、暑くもなく、ハイキング日和だったと思いますが、七支刀拝観者以外にも、リュックサック姿のハイカーをたくさん目にすることができました。(K)

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メキシコ展、文化変化

 ひとつ前の記事で、文化変化を考古学的にどのように解釈するかに関連して、天理参考館のメキシコ展に話が及びました。せっかくですので、メキシコ展の宣伝をしておきます。この展示は、天理参考館創立80周年記念の第1弾として、現在開催中です。
 
 メキシコにおけるコロンブス以前・以後の文化変化の要因は、もちろん、スペイン人の暴力的な征服という歴史的な大事件です。アステカの在来の文化が徹底的に破壊され、スペイン人が持ち込んだ新しい文化や習俗が浸透していったということが、展示してあるさまざまな資料、物質文化のうえからよくわかります。私にとって興味深いのは、その一方で、在地の伝統的な文化・習俗が変容しながらもたしかに残存・継続したところがあるということです。

 スペイン人が、在来の習俗や生活文化に関わる事物について精密な絵図を作成して1冊にまとめた貴重な書物も実物が展示されています。

 文化変化の顕著なひとつの事例を展示の中に見ることができると言えます。8月9日まで開催中ですので、是非、ご来観ください。

 文化の変化、あるいは変容といったテーマは、民俗学でも大事なテーマかと思うのですが、このあたり、Y先生、いかがでしょうか、と振ってみたりします。(K)

天理参考館メキシコ展


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本日、大和弥生文化の会、月例談話会

 本日夜、下記のとおり、大和弥生文化の会の月例談話会が開催されます。県内で文化財関係の仕事をしている若手が10名ほど集まります。天理大学の卒業生も多くいますし、ふだんから、天理大の学生もよく参加しています。この3月には、春に卒業した先輩2名が、この談話会で卒論の内容を発表しました。せっかく学内でおこなわれますので、少し時間が遅いですが、弥生時代に関心のある学生、あるいはそうでない人も大丈夫でですので、是非参加してみましょう。

  ・日時:本日5月27日(木) 7時30分から

  ・場所:天理大学考古学実習室

  ・内容:豆谷和之「沢遺跡の意義」

  ちなみに、豆谷さんは、現在、田原本町の総合企画部にご勤務ですが、唐古・鍵遺跡の発掘調査に長く従事し、大型建物2棟の調査を担当された方です。また、弥生文化の成立期に関する意欲的な研究者として知られています。今回のご発表は、豆谷さんが現在お住まいの宇陀市にある沢遺跡にかんするものですが、沢遺跡は、縄文時代晩期から弥生時代前期にかけての土器が層位的に出土し、縄文時代から弥生時代への移行を考える上で非常に重要な遺跡として注目される遺跡です。

  縄文から弥生への変化に限らず、ある特徴的な時代から別の時代への移行期を考古学的にどのように理解するかというのは、地域や時代に関わらず、興味深く、また難しい問題だと思います。この間のウシュシュキン先生の講演会も、カナン時代からイスラエル時代、あるいは、後期青銅器時代から鉄器時代への移行期に焦点をあてるものでした。かつては、新しく人間集団が移住してきたという移民説あるいは侵略説が主流だったのが、ちょうど江戸時代から明治時代への変化のように、人間の入れ替わりではなく、異なる文化の交流とその刺激の中で、平和的に新旧の文化が移り変わったという理解に学説がシフトしてきたのは、地中海東岸地域も日本列島も何か似ているように感じます。

 一方で、人類の長い歴史の中で、人間集団の移動(移民)や政治的な危機、暴力的な戦争などといったことが現実に存在し、それがきっかけで文化的な変化に至る場合があるという事実も大事ですから、文化の変化というものは、さまざまな複合的な要素や可能性があるということを考えておく必要があると思います。

 現在、天理参考館で開催されている「メキシコ展」を見ると、コロンブス以前と以後で、「古代」と「現代」に時代が分かれ、歴史や文化が全く変化してしまっていることが、物質文化の上からも明瞭であることに愕然とさせられます。とても興味深い展示ですので、是非、ご覧下さい。

  沢遺跡の話に戻ります。ともあれ、古い文化から新しい文化への移行に関する議論ですが、どこかの捜査機関のように、さきにストーリーありきという形ではなく、遺構・遺物という考古学的な証拠に基づいて、どのような仮説がもっとも適合的で可能性が高いのか、検証可能な議論をおこなうことが重要なのは言うまでもありません。そういう意味で、今日の豆谷さんの発表を大いに楽しみにしています。有名な豆谷節がきっと炸裂するはずです。学生のみなさん、是非、参加しましょう。(K)

多国語表記の解説板

 天理参考館の学芸員を長く勤め、数年前に大阪大谷大学に転出されたT先生から、飛鳥資料館に関するブログの記事に関連して、奈良県内の博物館における外国語解説が貧弱な状況にあることをメールでご指摘をいただきました。外国人観光客の誘致を国策とするのなら、早く改善してほしいというT先生のご意見はまさにそのとおりだと私も思います。
 
  T先生によると、九州の伊都国歴史博物館では常設展示のすべてに4ケ国語解説が実現していて、わが天理市でも赤土山古墳で、今回、おそらく奈良では初の4ケ国語解説が設置されたとのことです。それに比べると、天下の奈文研の展示、しかも特別展だけでなく常設展にも日本語の解説しかないのはやはり残念と言わざるを得ないのではないでしょうか。「飛鳥・藤原の宮都と関連資産群」は、世界遺産の登録をめざしているのですから、対応が必要なのではと思います。

 伊都国歴史博物館HP

 飛鳥資料館HP

  一方、天理市は、これまで遺跡の解説板が貧弱でしたが、教育委員会、とくにMさんやIさんたちの努力により、ここ1,2年の間に、赤土山古墳以外にも、峯塚古墳、西乗鞍古墳など、新しく解説板が設置されて、うれしく思っています。峯塚古墳の解説板には、天理大学の歴史研究会が作成した報告書に掲載の測量図面がクレジット入りで使用されています。こちらは日本語だけで、英語表記はありませんが。

 下の写真は、T先生からお送りいただいた伊都国歴史資料館と天理市赤土山古墳の解説パネル写真、私が撮影した関連写真です。(K)

s-SANY0235伊都国歴史博物館1階常設展示室(100325)-2

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卒論演習、春学期も折り返し

 水曜日は、午前に卒業論文演習があり、4年生が集まります。卒業論文は、原稿用紙換算で、50枚程度の論文を図表などの資料を添えて、12月半ばに提出するのですが、この演習は、それに向けて、論文の分野やテーマごとに分かれて、指導教員のもと、発表をしたり、指導や助言、ときには叱咤激励を受けたりするわけです。

 考古学・民俗学専攻は、かねてより卒業論文の作成を重視し、綿密な指導体制をとっていますが、それは、卒業論文というものが、大学での4年間の勉学の総仕上げであると考えているからです。つまり、大学院に進学したり、あるいは卒業後も専門分野に関わる分野に携わる人にとっては、卒業論文はその後の自らの基礎となりますし、就職をして、専門とは離れた分野に従事する人にとっても、卒業論文作成のプロセスを通して、仕事を進めてゆく上で重要な、企画・決定、計画・立案、情報の収集と分析、資料の準備、発表やプレゼンテーション、定式的な文章の作成、連絡・相談(コミュニケーションの基本ですね)などなど、実社会でも役に立つ多くの事柄を学ぶことができると考えているからです。
 
 毎週水曜日の卒業論文演習は、こうしたプロセスを、ペースを整えて計画的に進めてゆくうえで重要な科目となります。なので、学生には、極力欠席することのないように指導をおこない、自分の発表のない時にも、参加して、他の人の発表やそれについての教員のコメントから、ヒントを得たり、学んでほしいと思っています。ただ、4年生については、一方では、就職環境が非常に厳しく、就活を同時並行で進めなくてはなりませんので、本当に大変だと思います。

 気がついてみると、春学期の演習も今週で前半が終了。折り返し地点に到達しました。考古学を専攻する学生は、6月の6日、7日に橿考研に教員共々お邪魔をして、図書室を利用させてもらう予定です。それに向けて、来週までに、文献リストのアップデートをして、提出をするというのが宿題になっています。橿考研が学生に対して、図書室を開放してくれているのは本当に助かります。考古学の発掘調査報告書などは、研究室にはないものがどうしてもありますので。

  写真は、今年度の卒業論文仮題目の一覧です。正式題目は、卒業論文演習のなかで主査の教員の指導のもとに最終決定をおこない、6月30日に提出です。(K)

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七支刀の金は19金

 授業や来客などのため、七支刀の解説ボランティアについての書き込みが途切れていますが、週が明け、昨日から、七支刀の解説ボランティアが再開されています。昨日の雨中の拝観は大変だったと思いますが、今日は天気が回復し、少し蒸し暑いながらも、拝観日よりだったのではないでしょうか。私は今日も来客と授業のために現地には行けませんでしたが、研究室からは、学生に加えて、斉藤先生、山本先生が石上神宮に出かけて解説ボランティアを担当しました。

 山本先生によると、七支刀の金象嵌に用いられている金の純度は、79.2%。これは、19金に当たるそうです。現在、貴金属として装飾品などに用いられる金は18金ですから、それよりも純度が高いということになります。といっても、昨年末に報道されましたが、東大寺山古墳の中平銘鉄刀の金は100%に近く、24金ですから、やはり違いますね。(K)

Archaeological tour

 昨日は、雨の中、ウシュシュキン先生をご案内して、考古学関係の博物館や遺跡を中心にしたエクスカーションをおこないました。参考館分室、桜井市埋蔵文化財センター、飛鳥資料館、石舞台古墳、そして最後に天理参考館を見学したのですが、そのいずれにもたいへん感銘を受けておられました。さすがに橿考研の博物館は時間がなくなり、あきらめました。折しも飛鳥資料館では、キトラ古墳の壁画を公開中で、このあいだの日曜日に出かけたときには結構な人出で、壁画の実物をゆっくりと見ることができませんでしたが、今回は、月曜で雨天ということもあり、遠足の小学生以外は、見学者もまばらで、壁画を観察することができ、その鮮やかさに感銘を受けました。でも、説明文が日本語しかないのは残念でした。天理参考館の場合のように、せめて、キャプションだけでも英語があればと思います。  

 桜井市の埋蔵文化財センターでは、卒業生のFさんに無理を言って、いきなり押しかけてしまいましたが、ウシュシュキン先生、展示の内容が印象的だったらしく、とてもいい博物館だと言っておられましたよ。対応をしていただき、どうも、ありがとうございました。(K)

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ウシュシュキン教授、天理大学訪問(速報)

今日は、ウシュシュキン先生が天理大学を訪問。講演会を開催しました。
速報として、写真を紹介しておきます。(K)

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講演会「地中海東岸の都市遺跡」 

 イスラエルから来日中の考古学者、テル・アヴィブ大学のウシュシュキン名誉教授の講演会を下記のとおり開催します。ふるってご参加くださいますようお願いします。


地中海東岸地域の都市遺跡  ―後期青銅器時代から鉄器時代のメギドーとテル・レヘシュー

日時:2010年5月24日(月)
    16:30~18:30

場所:天理大学杣之内キャンパス
    2号棟1階 考古学実習室

プログラム:
ディビッド・ウシュシュキン氏(テル・アヴィブ大学名誉教授)
「カナン文化の終焉とメギドー遺跡」                     

          通訳:長谷川修一氏(立教大学兼任講師)

小野塚拓造氏(筑波大学大学院)
「下ガリラヤにおけるカナン“都市国家”の興亡」
          
来聴歓迎

主催:「古代オリエントにおける都市と宗教の研究」(学術研究振興資金)
問い合わせ先:考古学・民俗学共同研究室(桑原)

ウシュシュキン先生の紹介
メギドー調査隊HP
メギドー遺跡(英文ウィキペディア)
メギドー(ウキペディア)

 ウシュシュキン先生をお迎えしました

 今日の午後、ウシュシュキン先生を奈良にお迎えしました。奈良のホテルフジタに到着された先生から電話があり、関東から一足先に天理に先着していた発掘仲間の3名とともに奈良に向かい、ホテルのロビーで、2週間ぶりに先生にお目にかかりました。2週間のあいだ、先生とお連れのアヴィッツさんは、鎌倉、箱根、高山、広島、京都と旅をされていたのですが、ご旅行の様子など聞かせてもらいながら、明日の打ち合わせをおこないました。富士山が雲で見えなかったのが残念だったそうです。

 それにしても、天気が崩れるどころか大雨で、明日も同じ状況が続きそうなので、計画していた発掘現場の見学は不可能になりました。ウシュシュキン先生との打ち合わせを終えた後、どうしましょうかということで、関東から来た3名といっしょに大学の研究室に戻り、博物館関係の情報をネットで調べたのですが、奈良の国立博物館、天理の黒塚古墳展示館などは月曜日で閉館。いろいろと調べた結果、車で明日香方面へご案内して、飛鳥資料館、橿考研の博物館など見学していただこうということになりました。

 講演会の前に、参考館でテル・ゼロールの遺物を見せてもらう予定もあり、明日も忙しくなりそうです。(K)

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