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大和神社の御田植祭

 2月10日、天理市新泉町にある大和神社の御田植祭があり、見学に出かけてきました。区長さんや朝和小学校・南中学校の生徒たちが参加して、稲作に関わる作業の所作を模擬的におこない、新しい一年の豊作を祈願する神事です。もともとは、旧正月の10日におこなわれていたものが、新暦になってからは、2月の10日に行われるようになったとのことで、農耕の予祝儀礼だと言えます。

 田んぼの畦をつくり、豆まきをおこない、田起こしをしたあとに、稲に見立てた松苗を早乙女が植えてゆきます。この松苗は、たんぼの水口や畑の入り口に置いておくと、虫除けになるそうで、見学者が持ち帰ってもいいということでしたので、私も1本、ありがたく頂戴してきました。

 大和神社の近くには、出現期の古墳として著名な馬口山古墳があり、神社の参道から墳丘の様子を眺めることができました(K)。

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でんでん祭り

 いつもの水曜日と同じように、今日も、卒論ゼミのために研究室は4年生が大勢集まって賑やかで、慌ただしい一日でした。石上神宮のでんでん祭りもあり、原稿やその他の仕事に追われながらも、午後、時間をつくって見学をしてきました。ブログを更新している時間があったら、原稿を書いてくださいと叱られてしまいそうですので、今日は、とりあえず写真のみの紹介として、後日、余裕のある時に加筆をすることにしたいと思います。(K)

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鍵・今里の蛇巻き、山田の虫送り、石上神宮のでんでん祭り

 このブログの最近の記事で、大和の伝統的集落の景観について書きましたが、ここ大和では、村落の景観が変容しつつも維持されているだけでなく、人々の暮らしと結びついたさまざまな民間信仰が今も息づいていて、農事暦に合わせた季節感あふれる伝統的な民俗行事をそこかしこで見ることができます。

 たとえば6月には、この日曜日、6月6日に、国の無形民俗文化財に指定されている田原本町の鍵・今里の「蛇巻き」がおこなわれますし、16日(水曜日)の夕刻には、天理市指定の無形民俗文化財になっている山田の「虫送り」が執り行われます。そして、もう少し先の話ですが、30日(水曜日)は、いよいよ、石上神宮の「でんでん祭り」=神剣渡御祭です。行事が始まるのは30日の午後1時からですので、授業が空いていて時間のある人は、この機会に是非、見学をしておきましょう。天理市関係の年中行事は、天理市観光協会のホームページがとても充実していますので、そちらを参考にしてください。

 こうした行事は、いずれも代々続いてきた伝統的な形態を保ちつつも、時代の流れに応じて、現代的な形に変化を示しているところがあるはずです。そうした行事や祭事に参加して、観察し、かつてはどのようにして行われていて、今現在は、なぜ、どのようにして、そうなっているのか、といったことを現場から考えてゆくのが、民俗学のひとつのフィールドワークになるのだろうと思います。

 私も学生時代、たしか大学の2年生の時だったと思いますが(記憶が曖昧ですね)、文化人類学の演習(教養科目)で、一ヶ月間、授業の合間に、祇園祭の「保昌山」に出かけて調査をおこない、地元の人々と触れあい、いろいろと教えてもらいながら、そうした観察をおこなった懐かしい思い出があります。天理大学の民俗学実習でも、同様に、さまざまな祭りや行事に参加して、現場から考えることを重視しています。

  ところで、天理大学では、体験型・参加型の科目として、各学科・専攻の実習科目のほか、総合教育センターのI先生が担当している「森に生きる」があり、毎年、歴史文化学科の学生も参加しています。吉野の森での暮らしにはまってしまったのかどうか、この春に卒業したX氏などは、リピーターで、毎年参加していましたね。学生時代の忘れ得ない体験になったのではないでしょうか。(K)

天理市観光協会HP

鍵・今里の蛇巻き

山田の虫送り

石上神宮のでんでん祭り

森に生きる


田井庄、野神さん、大和の建て倒れ

  岩室のあたりを自転車でぶらぶらしたあと、足を伸ばして、自宅とは反対側の田井庄(たいのしょう)のムラの様子も観察してきました。青空が広がり、ひばりの鳴き声も聞こえます。田井庄といえば、天理大学の体育学部のあるところですが、体育学部の新しい体育館前の交差点は「地蔵前」という名前がついていて、お地蔵さんの後ろに、奈良盆地の伝統的村落のはずれでよく見られる「野神」さん、大きな樹木がまつってあるのを見ることができます。

 田井庄の本村は、やはり典型的な大和の伝統的村落。自転車で通勤の際、私はいつもこの田井庄のムラの狭い迷路のような道を通り抜けて、天理駅の方に向かっています。ムラの外に広がる水田は、もう、田植えを待つばかりの状況になっています。ちょうど、水路の水口から苗代に水をひいているところを通りがかりました。

 天理大学の国文学国語学科の出身で、現在は富山大学で教鞭をとっている社会言語学のN氏が、まだ天理にいた頃、京都の着倒れ、大阪の食い倒れ、大和の建て倒れという話をよくしていましたが、大和の伝統的村落は、家屋敷はみな広い敷地のまわりを四角く塀で囲み、門構えや蔵もとても立派です。家家の軒を飾る甍の連なりが銀色にまぶしく光り、しっくいの白壁が際だつ独特の景観は、時代劇に出てきそうな城下町のような雰囲気です。岩室や田井庄では、その中に、ひときわ目立って、うだつを設けた大和棟の母屋が建てられている姿を今も見ることができます。

 田井庄では、ムラを囲む環濠の名残が今も残っていて、草木が生い茂るそのたたずまいを見ていると、私などは、弥生時代の環濠集落もこのような雰囲気だったのかもしれないなどとつい想像を逞しくしてしまいます。(K)

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岩室、伝統的集落の変貌、両墓制

 日曜日の今日は昨日に続いて爽やかな好天。午前中は、ぶらりと自転車に乗って、自宅近くの散策をおこないました。私の自宅は、天理市内、前栽駅から南に歩いて7,8分のところにあり、天理大学の学生たちも、駅までの道などでよく出会ったりするところです。

  自転車ですぐ近くに、岩室(いわむろ)という古い村があり、奈良盆地=国中(くんなか)でよく見られる伝統的村落の景観を残しています。ムラの中には、広々とした敷地を白壁の塀で囲った家屋敷の甍がひしめいていて、鎮守の森やお寺などもあり、家家の間には迷路のような狭い道が縦横につながっています。家屋の密集するムラの外側には、田んぼや畑が広がり、ムラからやや離れて共同墓地があるという典型的な村落構造をみることができます。

  この岩室には、かつて金関恕先生の御尊父、金関丈夫先生がお住まいになっていた家がそのまま残っていて、現在は、金関先生のご子息でバイオリニストとして知られる金関環氏の表札がかかっています。岩室の集落は、金関丈夫先生が帝塚山大学時代に、『岩室』という民俗誌の記録を残していることでも知られていますが、そのあとの数十年の間に、伝統的な家屋が近代的な住宅に立て替えられるなど、ムラの姿も大きく変貌をとげています。国道に面したところにあるひとつの家は、典型的な大和棟の住宅として、大阪の国立民族学博物館に昭和40年頃の姿が模型で展示されていますが、最近、屋敷の敷地の半分が駐車場に変わりました。

  国道を挟んだ北側の一帯は、戦前から唐古・鍵遺跡と並んで大和を代表する弥生時代の遺跡、岩室遺跡(現在は平等坊・岩室遺跡)として知られていて、少し前までは田んぼや畑が広がっていましたが、最近になり、市街化調整区域だったのが用途地域が変更されて、開発が進み、発掘調査がおこなわれたあと、現在は、商業施設やマンション・住宅が立ち並んでいます。国の史跡に指定された唐古・鍵遺跡がこれから本格的な整備事業が始まって、遺跡の保存活用が進められようとしているのとは対照的な姿になっていると言えます。奈良県に限りませんが、弥生時代の集落遺跡の多くは、経済価値の大きな平野部にあり、残念ながら、面的な遺跡保存が難しいという現実的な問題があります。

  宅地や商業用地としての開発が進む平等坊・岩室遺跡ですが、その一画に、奈良盆地に数多い溜め池のひとつ、ヒライ池があります。今は池の周囲がコンクリートで護岸されていますが、その工事が1983年に行われ、橿考研による事前の発掘調査で確認された岩室池古墳では、古墳時代後期の形象埴輪がバラバラになって見つかりました。実は、当時高校生だった私も春休みにその発掘調査を手伝わせてもらったのですが、最近、教育委員会によって新しい遺跡の説明板が設置され、うれしく思っています。

 ヒライ池の横にある共同墓地では、民俗学のうえで有名な「両墓制」の名残を見ることができます。かつてこの墓地では、土葬がおこなわれていて、その昔、岩室のムラから繰り出す野辺の送りの葬列を通りがかりで目撃したことがあります。今でも、「埋め墓」と「参り墓」の場所を現地で確認することができます。

 民俗学の記述部分、何か間違っているところなどあるかもしれません。斉藤先生、大丈夫でしょうか。よろしければ、補足のコメントなどお願いします。(K)

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天理市荒蒔町・アカラガシラ

天理市荒蒔町のアカラガシラという行事の調査に有志数名で行ってきました。
今回は荒蒔町の方のご好意で、拝殿に上がらせてもらい宮座のみなさんと同じように行事に参加させていただくことができました。

午後、宮座衆が神社に集まり、赤飯や生の里芋などを供えて村神主がお祓いをします。
赤飯には柳の箸が添えられ、この赤飯の神饌はアカラガシラの特徴とも言えます。
これら色々な神饌を本殿をはじめとして6箇所に供えられるのです。

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その後、おさがりで直会があり、スルメ、昆布、カマボコ、お神酒をいただきました。
色々なお話を教えていただきながらの直会となり、非常に楽しかったです。

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なぜ「アカラガシラ」という名称なのかはどうやら不明らしく、改めて調べてみようと思いました。

アカラガシラのあとは、勝手神社内の観音堂を見学させてもらい、さらに荒蒔町内の「マトバサン」「ノガミサン」を見学しました。
そして、隣町の岩室町の集落も見学に行きました。
岩室町は国立民族博物館でも紹介されている大和の代表的な集落です。
大和棟の家や細い路地、神社を見学してこの日は解散しました。

荒蒔町の宮座衆のみなさま、ありがとうございました!


天理市のケイチン

天理大学のある天理市では、大変多くの民俗行事が残されています。
今回は、天理市上仁興町・元座講とケイチン、荒蒔町・ケイチン、藤井町・オニウチを紹介したいと思います。
下記の行事はいづれも正月行事として、執り行われるものです。

天理市上仁興町・元座講とケイチン
毎年1月7日に行なわれる行事で、年初めの行事です。
ミヤモトと呼ばれる人々が中心となって、村の入り口にかけるカンジョウナワと、午王宝印を作ります。
それらを薬師如来の前に供えて、祓いの詞、般若心経を唱えます。

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続いてケイチンですが、これは元々1月11日に行なわれていました。
「鬼」と書かれた的に矢を射る行事です。
悪いものを追い払うという意味がこめられています。

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天理市荒蒔町・ケイチン
毎年1月12日に行なわれる行事です。
宮座を中心に行なわれ、石上神宮の神職さんが来られます。
マトバサンという場所で、上仁興町と同様に「鬼」と書かれた的を射ります。

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マトバサンは女性の下半身の神様で、弓を持って帰れば、男の子に恵まれるそうです。

藤井町・オニウチ
毎年1月13日に行なわれる行事です。
ミヤモト、氏子総代を中心に行なわれます。
この日は大変寒く、甘酒が振舞われました。
石上神宮の神職さんによるご祈祷のあと、大きな的に向かって矢が放たれました。

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行事後、矢に松苗を結びつけて、豊作を祈願して苗代へと供えられるそうです。


旧暦でケイチン・オニウチ行事を行なう地域もあり、2月まで各地域でこのような行事が行われてます。


*写真はクリックで大きくなります*

奈良市南之庄町・カンジョウカケ

12月28日に奈良市南之庄町のカンジョウカケを見学に行きました。
夏に地蔵盆の見学に行ったところです。
卒論も無事終了ということで、お礼も兼ねて行って来ました。

朝9時に戸隠神社へと住民のみなさまが集まって来られ、カンジョウナワを編んでいきます。
この日は、境内の門松も一緒に作られました。

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一番のメインとなる部分は、梁にかけて全員で編んでいきます。

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そのあと、12本の縄を垂らし、檜、アオギ、杉をそれぞれに挿し込みます。
カンジョウナワの上部には御幣を12本挿してあります。
完成したら、神社の入り口にある立派な杉の木に掛けます。
木に登っての作業でした。

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無事に掛けられたあと、この間を通って境内へと戻り、直会となりました。

南之庄のみなさま、ありがとうございました!


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天理市福住・さる祭り

2008年12月23日に天理市福住町別所にて行われる「さる祭り」の見学に行きました。
これは15歳以下の男の子が行う行事なんですが、近年では子供が少なくなってしまったため、現在では老人会の方をはじめとして、村で行う行事となっています。
今年度には、天理市の文化財に指定されました。

朝、8時30分に下ノ坊という寺に集まり、注連縄を編むなどの準備をします。

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注連縄は神聖なものなので、跨いではいけません。
また、股に挟んで編んでもいけません。
長ければ長い方が良いということで、かつて200mくらい編んだ人がいるみたいです。

準備が整ったら出発です。
御幣、デンボ(藁の飾り)、注連縄を持ち、かけ声をかけながら山へと向かいます。

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20分くらいかけて山を登り、モリサンという山の神を祀った場所を囲むようにして注連縄を張ります。
より多く巻けた年は豊作だと言われています。
周囲の木の幹には、何周したかが彫られていました。

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その後、公民館でショイメシと呼ばれるかやくご飯と漬け物を戴きました。
以前は、この準備も子供達だけで行っていたと言います。

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かつては、女性が寺に近寄るのさえ嫌がられるほど、完全に女人禁制の行事でしたが、現在では女性の見学も許されています。
このような伝統的な行事は、少しずつ形を変えながらも失われずに継承されていくことを感じました。



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旧月ヶ瀬村桃香野の能楽

DSCF4265.jpg    a  2種の翁舞が奉納されます。


2008年10月19日日曜日に旧月ヶ瀬村桃香野八幡神社の能楽を見学に行きました。

桃香野地区の秋祭りだったのですが、残念ながらお渡りや神事などは見学することは出来ませんでした。

この能楽は奈良市の無形民俗文化財に指定されており、桃香野集落の人々が奉納する能楽で、翁舞や子供狂言などがありました。

地唄、つつみ太鼓、竜笛の鳴る中、社殿の前に設置された舞台で能楽が奉納され、おひねりが飛び交っていました。

この地区は「宮本」と呼ばれる長老衆が20人おり、その方々が居並ぶ宮本の建物に向かって奉納しているように感じました。

子供狂言は、小学校1年生2年生の男女によって奉納されます。

たどたどしいながらも、しっかりとした狂言回しで、なんとなく訛っているのがものすごく可愛らしかったです。

毎年、だいたい10月の第3日曜日に秋祭りが行なわれているそうなので、来年は是非行ってみてはいかがでしょうか?

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