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杣之内周辺の散歩、石上神宮と峯塚古墳

 せっかくなので、杣之内近辺をてくてくと歩き、石上神宮や峯塚古墳にも足を伸ばしてきました。昨年は七支刀の特別拝観でお世話になった石上神宮ですが、今年に入ってからは初詣に訪れたきりになっていました。拝殿や楼門も雪をかぶってひっそりとしています。

 終末期古墳として著名な峯塚古墳は、古墳へ向かうあぜ道には誰も通った形跡がなく、新しく積もったままの雪のうえを心地よく踏みしめながら歩いてゆくことができました。飛鳥の終末期古墳の調査や整備が進んでいるのとは対照的で、切石で覆われていることで知られる墳丘も、覆い茂った竹藪の中にあり、古墳の保護が急務であることが感じられます(K)。

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雪景色、西山古墳

 昨日は、奈良も3年ぶりの積雪となりました。一夜明け、今日は雪もかなり溶けてきましたが、それでもまだ雪景色が残っていて、大学周辺もいつもとは違った様子を見ることができまます。

 先月に草刈りが終わった西山古墳も、うっすらと雪をかぶっていましたので、上に登ってみました。登りはとくに問題なかったのですが、降りるときの方がやっかいで、うっかりすると、つるっと転んでしまいそうでしたので、カニのように横歩きになって靴のエッジを効かせながら用心して降りてきました(K)

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元興寺屋根裏体験

昨日の夕方、元興寺文化財研究所の研究員Mさんの案内で、特別公開されていた元興寺禅室の屋根裏探検をしてきました。

いや、まずは、学生のみなさんにお詫び申し上げねばなりません。研究員のMさんから、見学のお話があった際に、たいしたことはないだろうと思い込み、学生のみなさんへの案内の対応をしなかった自分の不明さについてです。

飛鳥時代の瓦が今も現役で使われていることで知られる元興寺ですが、禅室の屋根裏は、本当に凄かったです。590年に伐採され飛鳥寺に使われたであろう頭貫が、今日まで現役でちゃんと使われています。

時空を越えた不思議な世界、めったにできない体験をさせていただきました。飛鳥時代の建築部材がいまも現役で用いられ、鎌倉時代や昭和にとりかえられた部材と見事にコラボレーションしている様に、すっかり圧倒されてしまいました。

学生のみなさんといっしょに見学できればよかったとつくづく思ってしまいました。今度、このような機会があれば、案内しますので、お許しを。(M、K)

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西山古墳、バーチャルフライト、ランドマーク

 今日は、google earthのバーチャルフライトで、大学食堂の横にある西山古墳を眺めてみました。全長180mで、日本最大の前方後方墳として知られていますが、墳丘の2段目から上は前方後円墳の形をしていることがわかります。

  ですが、バーチャルはあくまでもバーチャルなので、実際に遺跡に足を運んで大きさや形を実感する方がはるかにいいのは当然です。下の写真は、前方部から後方部側を眺めた実写です。春に撮影した光景ですが、今は、すっかり雑草が生い茂り、墳丘に登るのは難しい状況になっています。



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 天理大学の学生なら毎日のように眺めているはずですが、天理教本部から大学へと向かう交差点のところには、建設部局が設置した西山古墳の標識があり、三カ国語での標記まであるのは素晴らしいと思います。ただ、古墳の形が前方後円墳として示されていて、間違っているとまでは言えませんが、気になっています。単なるシンボルマークなのかもしれませんが、やはり、前方後方墳として表示してほしいものです。(K)

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文化財としての陵墓、世界遺産、丸山古墳

  夜中のワールドカップをつい見てしまったための寝不足気味の一日でしたが、午前中、先週に続いて、橿考研の図書室に出かけてきました。4年次生の卒論資料調査のための初回引率ということです。サイクリング部所属の約2名は、雲が垂れ込める梅雨空のなか、天理から片道1時間の道のりを自転車を走らせてきましたが、午後の帰路は雨で大変だったのではないでしょうか。

  私はもとよりそのような元気はありませんので、今日は、マイカーを利用したのですが、帰り道、少し遠回りをして、五条野丸山古墳に立ち寄ってきました。今朝の新聞で、「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)が、世界文化遺産の国内候補として、ユネスコの暫定リストに記載することが了承されたとのニュースがあり、橿原市にある丸山古墳のことが思い浮かんだからです。

  五条野丸山古墳は、巨大な前方後円墳ですが、その後円部の部分だけを宮内庁が陵墓として管理していて、後円部以外の残りの部分は文化庁が国史跡に指定しています。また、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」を構成する資産のひとつとして、世界遺産の暫定リストにも記載されていて、同じ一つの古墳の墳丘が、陵墓として管理されると同時に文化財としても管理されている珍しい例であると言うことができます。

  「文化財としての陵墓」という認識を進めてゆくことは、天理市から桜井市にかけての山の辺地域の古墳群の今後のあり方を考えてゆく場合にも、ひとつの方向性になってくるように思われます。(K)

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gooマップから  右方向のブルーシートは発掘された植山古墳

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梅雨入り、報告書発送、布留遺跡

  近畿地方もようやく梅雨入りしたとのニュースが伝わってきました。じめじめした蒸し暑い天気がこれからしばらく続くことになります。天理市内の水田も、この週末でほとんど田植えが終了し、風景も梅雨モードにすっかり切り替わりました。

  今日は、午後から、科学研究費の報告書(『東大寺山古墳の研究』)の発送準備作業を天理参考館でおこないました。多くは機関宛ですが、一部、報告書作成に際してお世話になった個人の方も含まれています。市販本は真陽社からほどなく刊行予定ですので、いましばらくお待ちください。

  窓から北側の一帯を眺めてみたのですが、青々とした緑のなかに、天理教の神殿や「おやさとやかた」などの特徴的な建造物が立ち並んでいるのがよく見えます。このあたり全体が古墳時代の大規模集落遺跡として知られる布留遺跡にあたります。古墳時代前期の土器の代名詞、「布留式」の由来となった遺跡としても有名です。

  参考館には、3階展示室前のロビーを利用して、布留遺跡出土資料の展示コーナーが設けられています。解説パネルの地図を見ると、布留遺跡や西山古墳、石上神宮など、大学周辺の遺跡や文化遺産の位置関係がよくわかります。ついたての裏側にも木製刀装具などが展示されていますので、お見逃しのありませんように。(k)

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埋蔵文化財天理教調査団、布留遺跡、初めての発掘調査

  午前中、所用があり、大学から南に少し離れた永原町にある埋蔵文化財天理教調査団・天理参考館分室に出かけたのですが、その際、天理参考館学芸員のY氏から、この3月に刊行された布留遺跡杣之内地区の発掘調査報告書を1冊いただきました。発掘調査はずいぶん前におこなわれたもので、調査補助員として、当時高校生だった私の名前も記して頂いています。私にとって初めて参加した発掘調査であり、次々にいろいろなものが見つかる発見の連続に、わくわくした当時の体験をたいへん懐かしく思い出しました。

  思い出話になりますが、石上神宮の七支刀特別拝観でもお世話になっている天理高校のF先生(当時は天理大学の4年生)が天理高校に教育実習生として来られ、高校生だった私に発掘調査の参加を勧めて下さったのでした。発掘調査の主任だったYさんは、その頃まだ20代で若々しく、Yさんというと、そのときに親切に指導していただいたイメージが今でも離れません。私が今こうして考古学を専門にしているのも、そうした人との出会いやつながりがあり、導いて頂いたことが大きな要因になっています。
  
  考古学・民俗学専攻の卒業生のなかにも、在学時代、夏休みや春休み、あるいは授業の合間などに、埋蔵文化財天理教発掘調査団の発掘作業やその後の遺物整理作業などに参加して、多くのことを学び、それが今の自分の仕事にもつながっているという人がたくさんいるのではないでしょうか。

  天理大学は、研究室のスタッフのほかにも、附属天理参考館にも専門分野の学識や造詣の深い経験豊かな学芸員の方々が数多くいて、非常勤講師として大学の授業を担当いただいたり、研究室のスタッフとの共同研究をおこなったりしていて、研究室の学生もたいへんお世話になっています。今後、大学と参考館とのさまざまな連携がよりいっそう深まってゆくことを期待しているところです。

  さて、布留遺跡の話に戻ります。発掘調査の場所は、大学南棟校舎4号棟(学生ホールのあるところです)の東側隣接地。今は、駐車場になっている場所です。このあたりから石上神宮にかけての布留側左岸の高台は、古墳時代の大形掘立柱建物や「石上溝」とされる大溝、群馬県三ツ寺遺跡のような首長居館の一部の可能性がある石敷きなどが見つかっていて、物部氏と関連が深い布留遺跡の中枢地域とされるエリアです。

  つまり、天理大学の杣之内キャンパスの東側から石上神宮にかけて広がる高台は、写真のように、今は水田や畑(一部は駐車場)となっていますが、考古学的に、非常に興味深い遺跡が広がっている場所だということができます。(K)

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平城宮跡を遠望する

 先週の土曜に続いて、今日も午後から西大寺の奈良ふぁに来ていて、マックのモバイルポイントからブログを更新しています。奈良ふぁの屋上には展望デッキがあり、遷都1300年記念事業のメイン会場となっている平城宮跡の全容を遠望することができます。5月ももう終わろうとしていますが、五月晴れと言っていいのでしょうか、爽やかな好天で、来客で賑わっているイベント会場の様子を眺めることができました。(k)

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多国語表記の解説板

 天理参考館の学芸員を長く勤め、数年前に大阪大谷大学に転出されたT先生から、飛鳥資料館に関するブログの記事に関連して、奈良県内の博物館における外国語解説が貧弱な状況にあることをメールでご指摘をいただきました。外国人観光客の誘致を国策とするのなら、早く改善してほしいというT先生のご意見はまさにそのとおりだと私も思います。
 
  T先生によると、九州の伊都国歴史博物館では常設展示のすべてに4ケ国語解説が実現していて、わが天理市でも赤土山古墳で、今回、おそらく奈良では初の4ケ国語解説が設置されたとのことです。それに比べると、天下の奈文研の展示、しかも特別展だけでなく常設展にも日本語の解説しかないのはやはり残念と言わざるを得ないのではないでしょうか。「飛鳥・藤原の宮都と関連資産群」は、世界遺産の登録をめざしているのですから、対応が必要なのではと思います。

 伊都国歴史博物館HP

 飛鳥資料館HP

  一方、天理市は、これまで遺跡の解説板が貧弱でしたが、教育委員会、とくにMさんやIさんたちの努力により、ここ1,2年の間に、赤土山古墳以外にも、峯塚古墳、西乗鞍古墳など、新しく解説板が設置されて、うれしく思っています。峯塚古墳の解説板には、天理大学の歴史研究会が作成した報告書に掲載の測量図面がクレジット入りで使用されています。こちらは日本語だけで、英語表記はありませんが。

 下の写真は、T先生からお送りいただいた伊都国歴史資料館と天理市赤土山古墳の解説パネル写真、私が撮影した関連写真です。(K)

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鞍岡山3号墳

  西大寺のマックでは、結局、待ち時間の3時間ほどオフィス代わりに座席を占領してパソコンでいろいろと作業をしていました。帰路、少し遠回りをして、線刻画のある埴輪が出土して今日現地説明会があると報道された精華町の鞍岡山3号墳を見学に行きました。明日、奈良を来訪されるウシュシュキン教授が是非日本の発掘調査を見てみたいと希望しておられ、その下見をしておこうと考えたからです。

 西大寺から車まですいすいと30分足らず、最近引っ越しをされたS先生のご自宅の近くも通り、現場の近くまでは難なく到着したのですが、その後がいけませんでした。地元の人に聞いても正確な場所がわからず、行ったり来たりしてあきらめかけているときに、道路際に小さな駐在所をみつけておおよその場所を教えてもらったのですが、やはりわからず、山際で立ち往生していると、ついに横を精華町のバンが通りかかり、そのあとを追いかけて急勾配の悪路の坂をかけあがり、ようやく現場にたどり着くことができました。

 すでに4時を過ぎていて、シートがかかっていたために調査区の見学はできませんでしたが、調査担当者0さんのご厚意で、直径40mという円墳の墳丘を観察することができました。一昨日の授業の講師をつとめた加藤さん(旧姓八重樫さん)が学生時代、天理市の発掘調査に参加して調査を補助した東殿塚古墳で類似の線刻埴輪が出土していますが、古墳の規模や構造、埴輪の出土位置などに違いがあり、興味深く思えました。

 その後、さらに奈良市内のホテルフジタに立ち寄り、明日の夜に宿泊されるウシュシュキン先生にメッセージを残し、車でのアプローチの方法や駐車場所などを確認しておきました。 三条通りを歩いたのは久しぶりでしたが、拡幅されて、以前とは様変わりしています。

 しかし、明後日の月曜日はどうも天気が崩れそうですね。雨の時は現場の見学ができませんから、どうしましょう。(K)

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